岡山さんとの出会い 2011年11月11日のブログより
上田假奈代さんから電話があって、詩を作るように言われたのは、春頃だったか。気楽に引き受けてしまったが、一緒に谷川俊太郎も出るとのこと、後になってことの大変さを感じはじめた。「こころのたねとして」というココルームがやっているプロジェクトで、釜ヶ崎に暮らす人にインタビューして、そこから詩を作るという。僕は、岡山さんという方のペアになった。イベントの概要はhttp://arts-npo.org/anf2011_osaka.html ココルームのもう一人のウエダさん、こっちも和服美人の植田裕子さんも含めて、岡山さんと釜ヶ崎を散歩した。散歩の達人だった。インタビューして、詩を作るはずだったんだけど、僕の場合は、からだを動かしながらの方がいいと思い、岡山さんに寄り添って、からだをなぞりながら、ゆっくりと釜ヶ崎や飛田や阿倍野や新世界を歩いた。詩はなかなか出来なかった。締め切りの催促を受けた後、徹夜でなんとかひねり出した。苦し紛れのツーアウト満塁フルカウントのど真ん中直球か?どうも、変化球が投げられない。そろそろかわすピッチングを覚えないと行けない年齢だろうに。まあ、これからの課題。当日は雨だった。飛田会館に着くと、雨の日の中学校のようなくすぶった高まりが建物に満ちていた。控え室にいた詩を朗読する岩淵拓郎さんもSHINGO☆西成さんもすこし落ち着かない様子だった。ふたりとも、アートやロックの世界で、独特の覚めた視線の持ち主なのに。谷川さんは、後に鼎談をする平田オリザさんや栗原涁さんと別室にいるようだった。時間が来て講堂へ上がると、満員の熱気だった。谷川さんもいる。小柄だけど、老かいなレスラーのようないい体をしていた。すぐ隣のパイプイスに座っている。押しつぶされそうだったので、雨に当たることにした。ジャワのサロン(腰巻き)だけになってすこし頭とからだを冷やした。岡山さんがやって来たので、ふたりで客席から歩いていこうと誘った。後は成り行き次第。舞台上では、なぜか落ち着いてできた。岡山さんとダンスしながらの朗読。次に詩を読む谷川さんがいいコメントを付けてくれた。休憩時間に、客席から女性が迫ってきた。いきなり、「サクマさんは、有名なんですか?忙しいんですか?ギャラは高いんですか?」と早口でまくしたててきた。劇団石(トル)を主催するきむきがんさんだった。自分でも釜ヶ崎のおっちゃんたちと芝居を作っていて、すごく刺激になったということだった。せっかくなので、劇団へWSに行こうということになった。その後のメールののやりとりで、彼女の芝居にも出ることになった。きむきがんさんのブログにもその時のことが書かれている。http://blog.livedoor.jp/kigang/archives/3093421.htmlさて、詩をここへ載せるかどうか迷ったけど、載せることにしました。汚れた世界                          佐久間新右足の足首に少し力を入れて、膝があまり曲がらないようにしながら、靴底を地面から引き上げる。やや前屈みの重心を利用して、振り子のように放り出された足が着地する。腰骨と肩の右側に一瞬あらわれたバランスを、左足が追いかける。(岡山さんとダンサーの足音)重ねあわされた手はへその前に置かれ、人の流れにブレーキをかけている。キャップの下で結ばれた口元は、沸き上がる言葉を道端へこぼしている。靴の中の僕の足の指は、ジャワ舞踊を踊る時のように反りかえっている。手の指は、重ねた手の甲のでっぱりをなぜている。岡山さんのピンクのクロックスもどきの中の足と手の指は、リウマチで変形している。雨の日は滑ってしまうという。(岡山さんとダンサーの足音)!右足を内側へ深く切り込ませて全身を反転させるや、「この公衆電話は、なんで傾いとるか知っとるか?」って。眉の端がつり上がり、目が見開かれている。「ここの王将は日本橋から移ってきて、まだ新しくて、食べるのは2階。」とか、「もう120円入れると、コーヒーの他に何が出てくるでしょうか?」とか、「米は買わないの。野菜を買ってポイント貯めるとね、もらえるバッテン!」とかとか。岡山さんが買ってくれたチョコクランチバーを、植え込みのタイルに座って、裕子さんも一緒に3人で食べた。黄緑のプラスチックケースに入った淡い緑のタバコに火が灯る。「ケースがいいですね。」と、僕。「・・・ ・・・。」「聞いてないですよ。」と、裕子さん。しばらくあって、「聞いてるよ。」と、岡山さん。口元が心無しか緩んでいる。(岡山さんとダンサーの足音)タバコ屋のおばさんに、自転車のおっちゃんに、ホルモン焼き屋のにいちゃんに、道端に腰掛けてる薄着のおばちゃんに、破れ放題のアーケードの屋根や音の出る公衆便所に、ペンギンやお猿の看板に、軽く手をあげたり、鋭く体をひるがえしたりしながら、話しかけ、触れていく。汚れた街、汚れた空、汚れた服、汚れた体、汚れた心、に生きながら、息をし、歩き、しゃべり、働き、食べて、飲んで、暮らしている。汚れることで、交われることが、触れられることが、あるのだろう。きっと、この世界には、目を閉じ、耳を塞ぐことで、見えたり、聞こえたりするものが、狂い、衝動に身を任せることで、あらわれたり、到達したりできる世界が、あるのだろう。釜ヶ崎の人たちに、サングラスと耳栓をする車いすの彼女に、よだれを垂らし目を爛々とさせて踊る彼女に、僕のからだは反応する。一緒に踊りたいと。土から立ち上る朝靄や白い葉の裏を見せて風に踊る木と、水平線を見渡せる切り立った崖の上やこぼれ落ちそうな満天の星の下で、息を吸い込んだ空気がからだとこころに染み渡っていくのを味わって、目に見えない風やにおいの流れに波長を合わせることからダンスを始めてきた僕のからだは、今、放射能が際限なくどこまでも広がり続ける世界で、行き先を見失って困っている。世界の果てまで行けば、逃げられるのか。あるいは、ここで息をひそめて、生き延びられるのか。こういった世界を生みだしたものの正体は何なのか。自分もその一員であるとしたら、一体何をすべきなのか。(岡山さんとダンサーの足音)あきらめる?忘れる?慣れる?(            )
2011年11月11日のブログ
上田假奈代さんから電話があって、詩を作るように言われたのは、春頃だったか。気楽に引き受けてしまったが、一緒に谷川俊太郎も出るとのこと、後になってことの大変さを感じはじめた。「こころのたねとして」というココルームがやっているプロジェクトで、釜ヶ崎に暮らす人にインタビューして、そこから詩を作るという。僕は、岡山さんという方のペアになった。
イベントの概要は
http://arts-npo.org/anf2011_osaka.html
ココルームのもう一人のウエダさん、こっちも和服美人の植田裕子さんも含めて、岡山さんと釜ヶ崎を散歩した。散歩の達人だった。インタビューして、詩を作るはずだったんだけど、僕の場合は、からだを動かしながらの方がいいと思い、岡山さんに寄り添って、からだをなぞりながら、ゆっくりと釜ヶ崎や飛田や阿倍野や新世界を歩いた。
詩はなかなか出来なかった。締め切りの催促を受けた後、徹夜でなんとかひねり出した。苦し紛れのツーアウト満塁フルカウントのど真ん中直球か?どうも、変化球が投げられない。そろそろかわすピッチングを覚えないと行けない年齢だろうに。まあ、これからの課題。
当日は雨だった。飛田会館に着くと、雨の日の中学校のようなくすぶった高まりが建物に満ちていた。控え室にいた詩を朗読する岩淵拓郎さんもSHINGO☆西成さんもすこし落ち着かない様子だった。ふたりとも、アートやロックの世界で、独特の覚めた視線の持ち主なのに。谷川さんは、後に鼎談をする平田オリザさんや栗原涁さんと別室にいるようだった。
時間が来て講堂へ上がると、満員の熱気だった。谷川さんもいる。小柄だけど、老かいなレスラーのようないい体をしていた。すぐ隣のパイプイスに座っている。押しつぶされそうだったので、雨に当たることにした。ジャワのサロン(腰巻き)だけになってすこし頭とからだを冷やした。岡山さんがやって来たので、ふたりで客席から歩いていこうと誘った。後は成り行き次第。
舞台上では、なぜか落ち着いてできた。岡山さんとダンスしながらの朗読。次に詩を読む谷川さんがいいコメントを付けてくれた。休憩時間に、客席から女性が迫ってきた。いきなり、「サクマさんは、有名なんですか?忙しいんですか?ギャラは高いんですか?」と早口でまくしたててきた。劇団石(トル)を主催するきむきがんさんだった。自分でも釜ヶ崎のおっちゃんたちと芝居を作っていて、すごく刺激になったということだった。せっかくなので、劇団へWSに行こうということになった。その後のメールののやりとりで、彼女の芝居にも出ることになった。
きむきがんさんのブログにもその時のことが書かれている。
http://blog.livedoor.jp/kigang/archives/3093421.html
さて、詩をここへ載せるかどうか迷ったけど、載せることにしました。
汚れた世界                          
佐久間新
右足の足首に少し力を入れて、
膝があまり曲がらないようにしながら、
靴底を地面から引き上げる。
やや前屈みの重心を利用して、
振り子のように放り出された足が着地する。
腰骨と肩の右側に一瞬あらわれたバランスを、
左足が追いかける。
(岡山さんとダンサーの足音)
重ねあわされた手はへその前に置かれ、
人の流れにブレーキをかけている。
キャップの下で結ばれた口元は、
沸き上がる言葉を道端へこぼしている。
靴の中の僕の足の指は、ジャワ舞踊を踊る時のように反りかえっている。手の指は、重ねた手の甲のでっぱりをなぜている。岡山さんのピンクのクロックスもどきの中の足と手の指は、リウマチで変形している。雨の日は滑ってしまうという。
(岡山さんとダンサーの足音)
右足を内側へ深く切り込ませて全身を反転させるや、
「この公衆電話は、なんで傾いとるか知っとるか?」
って。眉の端がつり上がり、目が見開かれている。
「ここの王将は日本橋から移ってきて、まだ新しくて、食べるのは2階。」
とか、
「もう120円入れると、コーヒーの他に何が出てくるでしょうか?」
とか、
「米は買わないの。野菜を買ってポイント貯めるとね、もらえるバッテン!」
とかとか。
岡山さんが買ってくれたチョコクランチバーを、植え込みのタイルに座って、裕子さんも一緒に3人で食べた。黄緑のプラスチックケースに入った淡い緑のタバコに火が灯る。
「ケースがいいですね。」と、僕。
「・・・ ・・・。」
「聞いてないですよ。」と、裕子さん。
しばらくあって、
「聞いてるよ。」と、岡山さん。口元が心無しか緩んでいる。
(岡山さんとダンサーの足音)
タバコ屋のおばさんに、
自転車のおっちゃんに、
ホルモン焼き屋のにいちゃんに、
道端に腰掛けてる薄着のおばちゃんに、
破れ放題のアーケードの屋根や音の出る公衆便所に、
ペンギンやお猿の看板に、
軽く手をあげたり、
鋭く体をひるがえしたりしながら、
話しかけ、触れていく。
汚れた街、
汚れた空、
汚れた服、
汚れた体、
汚れた心、
に生きながら、
息をし、歩き、しゃべり、
働き、食べて、飲んで、
暮らしている。
汚れることで、
交われることが、触れられることが、
あるのだろう。
きっと、この世界には、
目を閉じ、耳を塞ぐことで、
見えたり、聞こえたりするものが、
狂い、衝動に身を任せることで、
あらわれたり、到達したりできる世界が、
あるのだろう。
釜ヶ崎の人たちに、
サングラスと耳栓をする車いすの彼女に、
よだれを垂らし目を爛々とさせて踊る彼女に、
僕のからだは反応する。一緒に踊りたいと。
土から立ち上る朝靄や
白い葉の裏を見せて風に踊る木と、
水平線を見渡せる切り立った崖の上や
こぼれ落ちそうな満天の星の下で、
息を吸い込んだ空気が
からだとこころに染み渡っていくのを味わって、
目に見えない風やにおいの流れに波長を合わせることから
ダンスを始めてきた僕のからだは、
今、放射能が際限なくどこまでも広がり続ける世界で、
行き先を見失って困っている。
世界の果てまで行けば、逃げられるのか。
あるいは、ここで息をひそめて、生き延びられるのか。
こういった世界を生みだしたものの正体は何なのか。
自分もその一員であるとしたら、一体何をすべきなのか。
(岡山さんとダンサーの足音)
あきらめる?
忘れる?
慣れる?
(            )